ひこうき雲

2016年3月に大学生の長男を自死で亡くしました。
長男への気持ちなどを綴っています。

もうすぐ4年…

長男がこの世界から旅立って

もうすぐ4年になろうとしています


長男がなくなったばかりの時に

よく人から言われたのが「時薬」という言葉



時が止まってしまい

嵐の海に放り出され溺れかけているような感覚の時に

この言葉はまったく信じられず

ただただ苦しい毎日でした




でも


愛犬をなくした後

保護犬を新たな家族として迎えました

来年は主人が還暦を迎えます

また来年の春には次男が大学を卒業する予定です




長男をなくして止まったように感じていた時は

ちゃんと動いていて

少しずつ苦しみや悲しみを和らげてくれました



今は


やんちゃな犬に振り回されて笑い

年末年始には家族でお笑い番組を観て笑い

美味しい物を食べて美味しいと感じられる



そんな日常に戻りつつあります






我が子をなくした悲しみや苦しみは

一生絶対に消えません


我が子を自殺に追いやってしまった

親としての罪も一生消えません



でも


宇多田ヒカルさんの「道」の歌詞の一節


「私の心の中にあなたがいる

 いつ如何なる時も

 どこへ続くかまだ分からぬ道

 でもきっとそこにあなたがいる」



この歌詞のように

きっと最期にはまた貴方に会えると信じて

今は毎日生きていきます

寂しいけれど…

愛犬がいなくなってから寂しくて寂しくて、気がつくと泣いてばかりいます。


ただ、長男を失くした時は胸の中に真っ黒い固まりがあって息をするのすら苦しかったですし、生きていく事さえ嫌になり何もする気になれませんでしたが、今回は寂しくて寂しくて仕方なくて泣いてばかりいるものの何とか動いて生活しています。



自死遺族の方々は家族を自死させてしまったという凄まじい悲嘆と苦しみと後悔を味わうと共に家族が崩れていくような、あるいは家族と繋がっていないんじゃないかという感覚に襲われる方も多いのではないかと思います。


我が家もそうでした。


でも、前と変わらずに愛情をくれる小さな1匹が、家族の雰囲気を和らげ、家族を繋いでくれていたような気がします。

もしかしたら、あの仔はその役目を背負って我が家に来てくれたのかもしれません。





実は、私はこの6月から何とか自分にできることはないかとやっと前を向き始め、介護の学校に通い始めました。

愛犬の死はそんな矢先に起こりました。


まるで、


「お母さんはもう大丈夫だね。

だから、今度はお兄ちゃんのとこに行くね。」


愛犬がそう言っているような感じでした。


あるいは


介護の勉強をしようと決めて申し込んだ頃、はっきりとした長男の夢を1年ぶりぐらいに見ました。


次男が長男とソファに腰掛けて、何か話している夢でした。


もしかしたら、

「お母さんはもう大丈夫そうだから、この仔を連れて行くね」

と長男が犬を迎えに来たのかもしれません。


全て私の都合よい解釈ですが、いずれにしても先輩ワンコも加わって1人と2匹で仲良く暮らしていると思います。


いいなー、ママもそこに加わりたいな


でも、もうちょっと待っててね。

ママの寿命が終わるまで待っててね、

お兄ちゃんと貴方の所に行く時はお土産を沢山持って行くからね。


寂しい朝

愛犬を失って2日目。


昨日はただただ泣いて茫然と過ごしていました。


昨夜は眠れるか不安でしたが、泣き疲れてしまい気付いたら朝でした。

でも目が覚めた途端、愛犬がいない現実に胸が苦しくなり、今は再び言いようのない喪失感に襲われています。


長男が逝き、愛犬もいなくなり、寂しくて仕方ないです。


でも、辛い時に側に居て支えてくれた愛犬に対して失った悲しみと同時に感謝の気持ちもあり、その感謝の気持ちが今の私を支えてくれています。




どこで見たかは忘れてしまいましたが


犬の寿命が短いのは犬はもう既に愛を知ってる存在だから。

ただひたすら愛を与えるためにこの世に来ているから。

だから愛を学ぶ必要が無いから寿命が短いんだ。



そんな内容の文を読んだ記憶があります。





小さいけれど愛いっぱいの存在でした。


もうちょっとだけママは貴方とのお別れが悲しくて泣くと思います。

でもね、貴方と過ごした沢山の幸せな思い出と貴方がくれた沢山の愛がママを支えてくれてます。


長男を失くして辛かった私達家族を一生懸命支えてくれた貴方。

今度は優しかったお兄ちゃんを支えてあげてね。


そしてママが逝く時はお兄ちゃんと迎えに来てね。


それまで暫しのお別れです。