悲しみの中の小さな幸せ
去年の暮れ、次男が塾が休みだった夜のこと。
次男が「夕飯にすき焼きが食べたい」
と言い出した。
いつもなら夕飯は何でもいいと言う次男が食べたいならと、私はスーパーへ買い物に出かけた。
私がいつも買い物に行くのは近所の小さなスーパー。
質より量の我が家では、すき焼きをする時はいつもそこの安い牛肉を多めに買う。
ところが、時季は年末。
いつもなら置いてあるはずの安い牛肉が、年末年始用のきらびやかなパックの高級牛肉に変わっていて全然見当たらない。
しかも小さなスーパーなので、年末年始用の肉ばかりで普通のパックの肉がほとんど無い状態。
せっかく次男が食べたがっているのに、これじゃあすき焼きは無理かなとガッカリしていたら、割引品コーナーにきらびやかなパックなのにそんなに高くない牛肉が2パックだけ残っている。
しかも4割引の値札が付いて!
やった!と大喜びでカゴにいれ、他のすき焼きの具材も買って家に帰り
「見て、牛肉がこんなに安く買えたよ」
と、次男に見せると、きらびやかパックに
「すげー、これいい肉でしょ?やったー」
と次男も大喜び。
ところが…
さあお肉を入れようとパックを開けてみると…
ちっちゃい肉が沢山入っている細切れ肉だった。
パッケージを確認するとちゃんと細切れ肉と書いてある。
どうりで安いわけである…
きらびやかなパックだから良い肉だと勝手に私が勘違いしてよく見ずに買ってきてしまったのだ。
流石に細切れですき焼きにするのは無理かなと落ち込んでいたら
「流石、お母さん。今年の最後までやってくれるよな〜」
と横で可笑しそうに笑う次男。
つられて私も笑ってしまった。
「パッケージが悪いよね。これじゃあ間違うよね」
私が言い訳すると
「 ここにちゃんと書いてあるよ、細切れって。まあ、俺は肉が食べられれば別にいいよ」
次男にそう言われ、仕方なく食べ始めたら、細かくて少し食べづらいものの、美味しい肉で、結局、夫、私、次男でペロリと平らげてしまった。
次男は「食べにくいけど、肉うめえ」とご飯を3杯も食べた。
すき焼きを囲んで
次男と笑えて
肉が美味しくて
家族で食べられて
ああ私は今、少しだけ幸せなのかな。
そう感じた瞬間だった。
静かな暮れの小さな小さな幸せ。
もし、長男がいればもっともっと幸せだったのだろう。
でももしかしたら、当たり前すぎて逆に幸せなんて思わなかったのかもしれない。
料理の時に少しの塩が砂糖の甘さを引き立たせるように、人は悲しみや不幸が強い程、ほんの少しの幸せが強く感じられるのかもしれない。
でも、それはきっと無くしてみないとわからない。
もっと早く気付ければ良かった。
そしたら、貴方を失くさないで済んだかもしれないのに…
それに、きき過ぎる塩はいらない。
だって、塩がきき過ぎたら料理は台無しになるじゃない。
それなら塩なんかいらない。
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